企画展情報

明治維新と静岡 徳川慶喜、家達と旧幕臣たち 企画展チラシダウンロード [PDF] 展示資料一覧 [PDF]
明治維新と静岡 徳川慶喜、家達と旧幕臣たち

明治維新と静岡
徳川慶喜よしのぶ家達いえさとと旧幕臣たち

会期
2025年4月26日(土)~6月8日(日)
開館時間
9時~18時(展示室入場は閉館30分前まで)
会場
静岡市歴史博物館 3階企画展示室
休館日
月曜日(国民の祝日・休日の場合は開館、翌平日休館)
※4月28日(月)は臨時開館
観覧料
個人 団体※1人につき
20人以上
一般 1000円 (900円) 800円
高校生・大学生
静岡市内居住
70歳以上
700円 (630円) 550円
小学生・中学生 250円 (220円) 200円
静岡市内居住・通学の小中学生、
未就学児は無料
※駿府城公園東御門・巽櫓、坤櫓、及び日本庭園の共通利用券の半券をご提示いただいた場合、( )内の料金でご利用いただけます。(上記3施設と当館を同じ日に利用・観覧される場合に限ります)
※「一般」以外の方は身分証明書等をお持ちください
※障害者手帳をお持ちの方とその介助者1人無料(要提示)
※基本展示も合わせてご覧いただけます

みどころ

       

人物紹介

徳川家による江戸幕府の統治体制が崩れ、明治維新という改革が起こりました。最後の将軍であった徳川慶喜は謹慎し、分家である御三卿のうち田安家の家達が徳川家を継いだことで、徳川宗家は駿河府中(駿府、のちの静岡)へ移されます。それに伴って、多くの幕臣が徳川家に従って静岡へ移住してきました。彼ら旧幕臣たちはどのような境遇で静岡へ移住してきたのか、静岡での生活ぶりはどうだったのか。静岡藩の成立、徳川慶喜・家達の動向とともに、静岡における徳川家と旧幕臣たちにとっての明治維新をひもときます。

徳川慶喜
徳川慶喜 とくがわよしのぶ
(1837~1913)

江戸幕府最後の第15代将軍。水戸藩主徳川斉昭の七男として、江戸の水戸藩邸で生まれる。慶応2(1866)年、征夷大将軍となる。翌年、政権を朝廷に返上したが、鳥羽・伏見の戦いに敗れて謹慎した。その後謹慎は解かれたが、およそ30年間にわたって静岡で暮らした。

徳川家達
徳川家達 とくがわいえさと
(1863~1940)

幼名亀之助。田安家より徳川家にはいり、慶応4(1868)年、慶喜のあと宗家を継いで、家達と改名。駿河・遠江・三河の領地を与えられ、翌年の版籍奉還で静岡藩知事となる。のちに、貴族院議長、日本赤十字社社長などを歴任し、ワシントン会議全権委員をつとめた。

渋沢栄一
渋沢栄一 しぶさわえいいち
(1840~1931)

武蔵国榛沢郡血洗島村(現:埼玉県深谷市)生まれ。一橋家の家臣となり、フランスをはじめヨーロッパ諸国を歴訪して、近代的技術・経済制度を見聞した。幕府が倒れたため帰国し、一時静岡藩に仕える。その後新政府で大蔵省に入るが、井上馨とともに健全財政を主張して聞き入れられず、辞任した。

勝海舟
勝海舟 かつかいしゅう
(1823~1899)

名は義邦、通称を麟太郎、海舟は号。江戸本所に生まれる。西洋兵術や蘭学を学んで、幕府内でも知識・技術ともに第一人者となる。徳川家の駿府移転に従って移住したが、新政府からしばしば呼び出されている。徳川家の後見人として当主家達や隠居の慶喜、旧幕臣たちの面倒をみた。

中村正直
中村正直 なかむらまさなお
(1832~1891)

明治時代前期の教育者、敬宇と号す。江戸麻布生まれ。幕府の英国留学生派遣に同行し、市民社会の実状にふれる。幕府の崩壊で帰国して静岡に移り、静岡学問所の教授となる。イギリス人のサミュエル・スマイルズ著『Self Help』を翻訳し、『西国立志編』として刊行した。

山岡鉄舟
山岡鉄舟 やまおかてっしゅう
(1836~1888)

通称は鉄太郎。江戸本所に生まれる。槍術の師である山岡家を継いだ。慶応4(1868)年、駿府で西郷隆盛と会見し、江戸無血開城に尽くした。同年徳川家に従って静岡に移住し、翌年には静岡藩権大参事となった。廃藩後は新政府に仕え、明治天皇の側近となった。

関口隆吉
関口隆吉 せきぐちたかよし
(1836~1889)

江戸本所に幕臣の子として生まれる。明治17(1884)年に静岡県令、明治19(1886)年に初代静岡県知事となる。治水・治山事業などに尽力し、図書館の設立を構想したが、列車事故で負傷し、それがもとで亡くなった。墓は臨済寺にあり、蔵書は静岡県立中央図書館に「久能文庫」として所蔵されている。

※画像はすべて国立国会図書館「近代日本人の肖像」

展示構成

はじめに 明治維新と徳川家

慶応3(1867)年10月、15代将軍・徳川慶喜は政権を朝廷に返上。翌年正月の鳥羽・伏見の戦いに敗れて謹慎します。新政府によって徳川家は駿河府中(駿府、後の静岡)へ移されることになります。徳川家を継いだのは、数えでわずか6歳だった亀之助(家達)でした。

1旧幕臣と駿府・静岡 旧幕臣と駿府・静岡

勝海舟所用ピストル
当館所蔵(白鳥家資料)

駿河府中(駿府、後の静岡)へ移された徳川家に与えられたのは、駿河、遠江、三河の一部の70万石でした。徳川家を継いだ家達に従って、多くの旧幕臣たちが江戸から駿府へ移住してきました。その中には勝海舟などの有名な人物も含まれています。彼らは横浜から蒸気船に乗って清水へ上陸し、駿府を目指しました。旧幕臣の多くは無禄移住、つまり将来の生活の保障がない状態のまま移住してきました。

2静岡藩と旧幕臣たち 勝海舟

勝海舟写真
当館所蔵(白鳥家資料)

徳川家達を藩主として、駿河府中藩(後の静岡藩)が成立します。静岡藩は旧幕府の優秀な人材を引き継いで、さまざまな事業を展開し、最先端の教育を行いました。旧幕臣の中には、重臣となった勝海舟や山岡鉄舟、商法会所を設立した渋沢栄一や、静岡学問所で教鞭をとった中村正直などがいました。一方、無禄移住をしてきた旧幕臣の多くは、町方や農村、寺社に家を借りて住むなど、その生活は困難を極めました。

3旧幕臣と慶喜・家達徳川家達家族写真

徳川家達家族写真
当館所蔵

謹慎の身であった徳川慶喜は、謹慎がとけた後も長く静岡で暮らし、写真や絵画、書などの趣味に生きました。一方、家達は明治4(1871)年の廃藩置県で静岡藩がなくなり、東京へ戻って政治家となった後も、静岡との関わりを持ちました。慶喜、家達が残した写真や書画が静岡に伝わっています。各地で定住をはじめた旧幕臣たちは慶喜、家達、そしてかつて主家であった徳川家を慕い続けました。

4静岡県の成立と旧幕臣たち関口隆吉

任静岡県知事(関口隆吉)
静岡県立中央図書館所蔵

明治4(1871)年、廃藩置県によって静岡藩は廃止され、静岡県が成立します。静岡県は人材の多くを静岡藩から引き継ぎました。明治17(1884)年には旧幕臣である関口隆吉が県令に就任し、明治19(1886)年には初代県知事となります。静岡県は旧幕臣たちに支えられていたのです。関口の構想を基礎として大正14(1925)年に設立された葵文庫は、徳川家の記念事業として渋沢栄一らの寄附により建設され、旧幕府の蔵書を引き継ぎました。

おわりに その後の静岡と徳川家

徳川家達は明治21(1888)年、静岡を訪問して旧幕臣たちと交流を深めています。その後も教育の支援など、さまざまな形で徳川家と静岡との関わりは続きました。

まち歩きマップ 静岡で歩いてたどる明治維新

静岡市歴史博物館の周辺には、明治時代の静岡にゆかりのある寺院や名残を今に伝える石碑などがたくさん。気軽に散歩しながら、明治時代の静岡に思いを馳せてみませんか?

静岡で歩いてたどる明治維新(企画展チラシ中面) [PDF]

①宝台院(慶喜謹慎の地)

宝台院

謹慎の身となった慶喜は、水戸からここ宝台院へ移りました。

②城代屋敷跡・葵文庫跡
(静岡市歴史博物館)

城代屋敷跡・葵文庫跡

江戸時代には駿府城を守る城代屋敷、大正時代末には静岡県立中央図書館の前身である葵文庫がありました。

③旧家達邸跡(西草深公園)

旧家達邸跡

家達は最初、駿府城内の元城代屋敷に住み、のちにここ静岡浅間神社の神主の屋敷に移りました。

④富春院
(中村正直ゆかりの寺)

富春院

近所に暮らし、「敬宇先生」と呼ばれていた中村正直ゆかりの品が伝わっています。

足を伸ばして

静岡市清水区

小島陣屋
(小島本町・小島町内)

小島陣屋

江戸時代には小島藩という藩の陣屋でした。静岡藩ができると地方役所として使われました。
≫ 国指定史跡「小島陣屋跡」(外部ページ:静岡市HP)

JR菊川駅前

関口隆吉銅像

城代屋敷跡・葵文庫跡

関口隆吉と菊川市のゆかりを記念して、菊川駅前に銅像がたてられています。
※JR菊川駅の整備に伴い、一時的に菊川文化会館アエルへ移設をしています。

沼津市大手町

沼津兵学校跡

静岡藩は旧沼津城内に藩校として沼津兵学校をひらきました。

沼津市西熊堂

沼津市明治史料館

富春院

旧幕臣で沼津とかかわりの深い江原素六や、静岡藩の藩校であった沼津兵学校などを紹介する博物館です。
≫ 沼津市明治史料館
(外部ページ:沼津市HP)

図録

4/26(土)から
博物館ミュージアムショップ・WEBで販売開始

A4サイズ/72ページ

通信販売はこちら

新型コロナウイルス感染症感染拡大防止に関する取り組み

◆お問い合わせ: 静岡市歴史博物館

TEL:054-204-1005

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