| 個人 | 団体※1人につき 20人以上 |
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|---|---|---|
| 一般 | 1200円(1100円) | 960円 |
| 静岡市内居住 70歳以上の方 高校生・大学生 |
840円(770円) | 660円 |
| 小学生・中学生 | 300円(270円) | 240円 |
| 個人 | 団体※1人につき 20人以上 |
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|---|---|---|
| 一般 | 600円 | 480円 |
| 静岡市内居住 70歳以上の方 高校生・大学生 |
420円 | 330円 |
| 小学生・中学生 | 150円 | 120円 |
| 静岡市内居住・通学の小中学生、未就学児は無料 |
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太刀 銘長船住人長光(静岡浅間神社所蔵)
徳川家康は、豊臣秀吉と天下を争った武将として知られる一方で、秀吉が信頼を寄せた義兄弟であり、豊臣政権を支え続けた重鎮でもありました。
本展では、静岡市内に遺された資料を中心に、家康と豊臣政権とのかかわりをひもときます。
天正10(1582)年、家康は、織田信長とともに、甲斐の武田氏を滅ぼして駿河国を平定しました。同年、本能寺の変が起こると、堺にいた家康は「伊賀越え」で領国に戻り危機から逃れました。その後、関東の北条氏との戦いを経て、駿河・遠江・三河・甲斐・信濃の五か国を治める大大名となりました。
徳川家康禁制(清見寺所蔵 静岡市指定文化財)
天正12(1584)年、家康は信長の子織田信雄と結んで秀吉に対抗し、小牧・長久手の戦いで秀吉軍の別動隊を破りました。しかし信雄が秀吉と和睦したことで、不利となった家康も秀吉に臣従し、秀吉の妹である旭姫が家康に嫁ぎました。
尾州小牧長久手御合戦地図(大阪城天守閣所蔵)
天正14(1586)年、秀吉に従った家康は浜松から駿府へ本拠を移し、五か国を統治する大名として、領国の整備を進めました。金箔瓦を用いた駿府城を築くとともに、領内の検地や寺社の保護を行いました。
駿府城金箔瓦(静岡市所蔵)
家康は北条氏との仲介を担っていましたが、天正17(1589)年に、秀吉が小田原攻めに乗り出したため、秀吉に従い戦いに参加しました。秀吉は進軍にあたり、寺社の安全を保障し、興津の清見寺に立ち寄っています。
豊臣秀吉朱印状(清見寺所蔵 静岡市指定文化財)
天正18(1590)年、小田原合戦後に家康の領地が関東に移されると、駿河には秀吉の家臣である中村一氏が配置されました。一氏は家老の横田村詮らを通じて太閤検地や法度の制定を行い、駿河に豊臣政権の統治が定着していきました。
横田村詮法度(当館所蔵)
豊臣政権下で家康は有力な大名として政治運営に関与し、秀吉の信任のもと紛争調停や朝鮮出兵、伏見城築城など重要な役割を果たしました。秀吉の死後は五大老筆頭として権力を強め、石田三成らとの対立の中で慶長5(1600)年、関ケ原合戦を戦いました。
背負陣太鼓(大阪城天守閣所蔵)
関ケ原合戦に勝利した家康は実質的な政治の実権を握りました。関東・東海を基盤に支配を強め、豊臣政権と並立する体制が形成されました。その後の慶長8(1603)年、家康は征夷大将軍に任じられ、徳川政権が成立しました。
勝瓢(静岡浅間神社所蔵)
家康は天正10(1582)年に武田氏を滅ぼして駿河を支配下におき、同14年には浜松から駿府へと移りました。家康は豊臣秀吉の命を受けて江戸に移るまでの約4年間、駿府を本拠地としています。この間、家康は、金箔瓦を用いた駿府城を築くとともに、戦火で焼失した静岡浅間神社の造営や寺社への保護を行いました。このころ家康に嫁いだ旭姫(秀吉の妹)の墓所も駿府城近くの瑞龍寺にあります。同18年の小田原合戦では、関東へ進軍する秀吉が途中駿河を通過し清見寺にも滞在しました。合戦後、家康は江戸に移され、代わりに秀吉の家臣である中村一氏が駿河を治めることになります。
ゆかりの地マップ(企画展チラシ中面) [PDF]