そば屋の屋台(再現模型)
津山藩参勤交代道具 乗物(体験模型)
津山市津山郷土博物館原資料所蔵
黒塗銀立涌葵紋散蒔絵陣笠
幕府の政治拠点となった巨大都市、江戸。そこでの衣・食・住、商売、芝居見物や外食などの娯楽は、最先端の生活スタイルとして他の地域に広がっていきました。江戸東京博物館が所蔵する貴重な資料と、東大発の知識集団QuizKnockの案内で、駿府の人びとの暮らしにも大きな影響を与え続けた江戸文化の実像に迫ります。大名駕籠や棒手振り、そば屋台や寿司屋台などの体験模型、再現模型で江戸時代にタイムスリップしてみましょう。
明治維新から静岡県・静岡市の成立までをたどりながら、静岡の人びとにとっての江戸から明治への移り変わりについて紹介します。
徳川家康は、源頼朝や足利尊氏にならって、1603(慶長8)年に征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開きました。以来、将軍職は1867(慶応3)年の王政復古によって廃止されるまで15代、足かけ265年にわたって徳川家の子孫によって継承されました。
徳川家康像(前期展示)
将軍の住まいであり、政務をとり行う江戸城とその城下町は、全国の大名を動員した「天下普請」によって建設されました。江戸には将軍の家臣である旗本・御家人、大名とその家族と家臣、商人、職人などが集住し、人・物・情報が集まり都市として発展しました。
銅製鯱(複製) 東京国立博物館原資料所蔵
江戸城御本丸御天守閣外面之図(複製)
都立中央図書館原資料所蔵
駿府城東御門・巽櫓
(静岡市葵区駿府城公園)
家康最期の地でもある駿府城。最近の発掘調査では家康が建てた基底部が東西63m、南北69mの巨大な天守台が発見されたよ!駿府城も江戸城と同じくらい立派な城だったんだ!
神田上水は江戸で一番古い上水道です。しかし、江戸の人口が増加するにしたがい、新たな水道設備が必要となりました。その結果完成したのが玉川上水です。以後、神田上水と玉川上水は江戸の二大水道として江戸時代を通じて利用されました。
角形木樋 中央区銀座(昭和通り)から出土した木樋
江戸時代の消防方法は「破壊消防」で、燃えている家屋を破壊して火事が燃え広がることを止めようとするものでした。幕府は、大名火消や定火消を設置するとともに、1718(享保3)年には町奉行の大岡忠相により町火消が設置され、いろは47組に編成されました。
歌川国芳「火消千組の図 絵馬」(複製)
成田山霊光館原資料所蔵
鯨ケ池(静岡市葵区下)
安倍川や鯨ケ池から駿府のまちに用水が引かれていたんだよ
江戸には1,600~1,700の町がありました。町を守り住民の生活を支える施設として、町の出入り口には木戸が設けられ、夜間は閉じて治安を守りました。また、木戸番と自身番がおかれ、木戸の管理や町を日常的に治めたり、警備を行ったりしていました。
町方与力の十手
江戸の庶民は、季節感にあふれた暮らしをしていました。とくに「五節句」は1年の重要な節目として広く祝われ、年中行事や祭礼、厄払いを意味する風習や、行事に合わせた食を楽しむなど、季節によってさまざまな慣わしを生活に取り入れていました。
日常の膳(再現模型)
駿府町奉行所址(静岡市葵区追手町)
江戸幕府が直接支配していた駿府には、江戸から町奉行が交代で派遣されていたよ。町のインフラ整備や治安維持など、町の人びとの暮らしに密着した仕事をしていたのよ。
江戸時代のお金には金・銀・銭貨がありました。金貨は小判であれば1枚を一両として使い、銀貨は重さを量って使用する貨幣でした。銭貨は「寛永通宝」が江戸時代を通じて発行されました。
慶長小判
江戸時代の商売は、三井越後屋に代表される呉服を扱う大店から、日用の食品などを籠に入れて売り歩く棒手振りといった行商人や日雇いまで、きわめて多種多様でした。
菊川英山「岩城舛屋前の賑い」(後期展示)
金座稲荷神社(静岡市葵区金座町)
江戸時代のはじめ、家康の命令で、後藤庄三郎光次がこの場所にあった金座で小判を作っていたといわれているよ。今は地元で金座稲荷神社がまつられているよ。
江戸時代には、歌舞伎や遊郭、祭礼といった遊楽の様子をおもに描く絵画が流行しました。その流れをくんで風俗を描いたのが浮世絵です。筆で彩色した肉筆浮世絵の需要が高まるにつれて木版画の技術が開発され、多色摺の「吾妻錦絵(江戸絵)」が誕生しました。
豊田利忠『善光寺道名所図会』
京都で始まった歌舞伎は、江戸でも早くから上演されました。江戸前期、上方歌舞伎とは異なる<荒事>という様式が江戸で成立しました。歌舞伎の演劇様式は江戸で独自の発達を遂げ、江戸文化を代表する総合芸術として今日も演じ続けられています。
江戸時代はさまざまなニュースを題材とした庶民向けの一枚刷の印刷物が多く出されました。これを「瓦版」と呼びます。題材としては、火災・地震などの災害速報が第一にあげられます。また、ペリー来航以降は政治の状況を題材としたものが増加しました。
歌川広重(2代)「江戸名所 はんじもの」(前期展示)
十返舎一九生家跡伝承地
(静岡市葵区両替町)
江戸時代後期に大ヒットした滑稽本『東海道中膝栗毛』の作者十返舎一九は駿府で育ったとされているよ!静岡市葵区両替町に生家跡と伝わる場所があるよ。
1853(嘉永6)年、ペリーは軍艦を率いて浦賀へ来航し、日本に開国を要求しました。翌年、幕府は日米和親条約を締結し、それまでの「鎖国」政策は転換されました。幕府の権力が急速に衰えるなか、1867(慶応3)年に15代将軍徳川慶喜は、朝廷に政権の返上を申し出ました。
徳川慶喜公屋敷跡・浮月楼
(静岡市葵区紺屋町)
明治維新後には徳川宗家を継いだ16代徳川家達とたくさんの家臣たちが静岡に移り住んだんだ!江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜は合わせて約30年も静岡で暮らしていたよ。
図録やグッズについては
「QuizKnockと巡る江戸東京博物館展」公式ホームページをご確認ください。
※観覧チケットのオンライン購入も可能です。詳細は購入サイト内を確認ください。
※当日を含む2週間分の購入ができます。(販売初日は10:00販売開始)
※観覧料が無料となる方や招待券等をお持ちの方は当日直接ご来館ください。