1階

静岡市の「広さ」と「歴史」を体感する「歴史体感展示」

静岡市の各地にある史跡を、「場所」と「もの(資料)」とを結びつけながら紹介しています。

「戦国時代末期の道と石垣」の遺構
家康の時代の道の跡を、発掘現場そのままに展示

1階戦国時代末期の道と石垣

今まで分からなかった駿府のまちのはじまりの頃の構造が分かるもので、全国的に見ても非常に貴重なものです。道の長さは30メートル以上。その道の両側にはその道の長さの塀が立っていました。その両側の塀の向こうはどうやら大きなお屋敷だったようです。いったいどんなお屋敷だったのでしょうか。家康の時代に思いをはせることができるところです。

ギャラリー 静岡の時空を語る、感じる

1階ギャラリー

静岡の絵地図を大画面で展示しています。静岡の空間の広がりを感じられるつくりになっています。
静岡の歴史を代表する資料から、静岡の歴史の奥深さがわかります。

2階

400年前の駿府へタイムスリップ! 「『首都』駿府と世界」

大御所として駿府にやってきた家康は、駿府で世界の使節と交流しました。
駿府にやってきた人々や彼らによって駿府にもたらされた貴重な宝物を紹介しています。
400年前の駿府と、家康を取り巻く世界のようすがわかります。

駿府の城とまちをつくった家康の人生をたどる「家康の一生」

2階家康の一生

徳川家康は、75年の一生のうち、三分の一にあたる25年を駿府(静岡)で過ごしました。
家康がどんな人だったのか、彼の一生と人となりをたどります。

家康の花押

家康の花押(サイン)

命令や手紙を出すときには、花押(自筆のサイン)を書くか印章(ハンコ)を押しました。花押は使われた年代によって形が変わります。

家康の肖像画

家康の肖像画(東照大権現像)

死後、神としてまつられるようになった家康を拝むために、肖像画や木像が多くつくられました。

駿府を治め、家康を育てた今川氏のすごさを知る 「家康を育んだ地 駿府」

2階家康を育んだ地駿府

幼少期の家康を育てたのは、代々駿府(静岡)を拠点に大きな勢力をもっていた今川氏でした。
今川氏の培った文化は、今も残り、現在の静岡にも影響を与えています。

桶狭間今川義元血戦

桶狭間今川義元血戦

鎧を着て、勇ましく戦う武将として描かれた今川義元を見ることができます。義元はどのような人物だったのでしょうか。

義元の花押

義元の花押(サイン)

今川義元が用いていた花押です。家康(元康)は、17歳から19歳のころ、この義元の花押に似た形の花押を用いたそうです。

3階

東海道、駿府城下町のにぎわいを知る・感じる

江戸時代の初め、徳川家康が整えた東海道には、たくさんの人や物が行きかい、
そのにぎわいは武士、町人などさまざまな人々がくらす駿府に、豊かな生活や文化をもたらしました。
展示では江戸時代の駿府の町のかたちや、人々のくらしを知ることができます。

東海道と駿府の町をめぐる「家康の威光と駿府」

3階家康の威光と駿府

家康が整備した駿府城下町(現在の静岡市中心市街地)は、多くの人々が住む町へと発展していきました。
人々のくらしや商売、お祭りの様子を紹介します。また、お茶などの産業や清水湊を中心とした流通を取り上げています。

東海道図屏風

東海道図屏風

平和な世の中になり、東海道を行き来する人が増え、絵画や屏風に江戸から京都まで東海道のにぎわいが描かれるようになりました。

駿府城下町絵図

駿府城下町絵図

絵地図に記された町の名前や道は今も残り、現在の静岡市街地に町のつくりが受け継がれているのがわかります。

日本の近代は静岡から始まった!「静岡藩と新生静岡」

3階静岡藩と新生静岡

明治維新の後、駿府に旧江戸幕府から多くの人が移り住んで静岡藩ができ、先進的な取り組みが行われました。 その後、静岡市が成立、東海道線が敷かれました。また、近代の清水港とお茶について取り上げています。

昭和30年代の静岡市街地模型

「昭和30年代の静岡市街地模型」

昭和30年代の静岡のまちを再現した都市模型です。当時のまちの様子をみてみましょう。

静岡藩御役人附

駿府藩御役人附

明治時代はじめの静岡には旧幕府の優秀な人材が多く移り住みました。役人一覧には勝海舟や前島密など有名な人物が並びます。